昭和の時計とソ連の時計

古い時計のあれこれ

旧ソ連の懐中時計 モルニヤ Molnija 3602 編

 

Molnija モルニヤ

公開日:2022/09/01    最終更新日:2024/03/09  

この記事は「旧ソ連の懐中時計  モルニヤ  Молния К-36」の後編です。

初期の Molnija に搭載された Molnija 3602 。この頃の機械が最も仕上げが良い。

時計開発を命じられた時計産業科学研究所モスクワ第2時計工場は、ベリヤが高性能を求め持ち込んだスイス製 Cortébert 620 に苦心惨憺しながらも、本家をも凌ぐ 3.5 mm という薄型の К-36 を完成させます。 しかし、その薄さ故の生産性の悪さは、皮肉にもベリヤがもう一方で熱望した大量生産を阻む結果となりました。 高い生産性を求め、К-36 は薄さを捨てる大きな改造が施されて行きます。

 

検索等で飛んで来られた方は、ぜひ前編「モルニヤ Молния К-36 編」から
ご覧ください。

 


凡例
Молния : 1947年から1969年頃まで製造された最初のモルニヤ。
Molnija : 1965年から2000年代まで製造されたモルニヤ。(日本でも広く流通)
К-36 : Молния に搭載されたムーブメント。一時 Cal. 3602 と呼ばれる。
Molnija 3602 : Molnija 搭載の Cal. 3602 。上の理由で便宜上こう呼びます。

 

ЧК-2М

f:id:raketa:20210706145311j:plainК-36 最後の懐中時計 Искра(Iskra)。ブレゲひげゼンマイと17石の仕様。

 

К-36 の終焉 

1946年に開発*1された Салют、Молния 用のムーブメント К-36 は、より精度と品質を高める為、平ひげゼンマイがブレゲひげゼンマイに、15石の人工ルビーが 17石にと、仕様が変更されますそうして完成した改良型 К-36 *2 は、1955年にモスクワ第2時計工場の新しい懐中時計 Искра(Iskra  / イスクラ) に搭載されました。しかし、Искра は 2年後の 1957年に製造が中止されると、改良型 К-36 搭載の最初にして最後の*3、そして К-36 シリーズで最も短命なモデルとなりました。

1945年に始まった К-36 の開発は意外にも当初、ブレゲひげ仕様で行われ、ベリヤ肝煎りの懐中時計 Салют に搭載されました。*4 しかし、翌年に兄弟機 Молния の量産が始まると、К-36 は Салют 用も含め全て平ひげ*5仕様に変更されます。 当時、スイスでは量産に適した機械の厚みは 4.0 - 4.5 mm とされており*6、それより遥かに薄い 3.5 mm の К-36 に、巻上げ構造で厚みのあるブレゲひげの採用は、量産をより困難にさせると判断したのでしょう。それなのに敢えて再び Искра をブレゲひげ仕様で開発したのは、やはりベリヤが自ら躍進させたソ連時計産業の技術力を誇示するため、より高い性能を求めたからかもしれません。しかし…

 

ベリヤ失脚を報じる 1953年7月10日付けの新聞 ПРАВДА(プラウダ)


独裁者スターリンの死*7 によって、実質的な最高権力*8 の座を手にしたベリヤだったが、その権力を恐れた政敵フルシチョフ達のクーデターにより、ベリヤは Искра の完成を見ること無く、1953年6月に逮捕され、その後に処刑されました。この出来事により、ひょっとするとベリヤが拘った薄型高性能な К-36 を破棄し、量産優先のムーブメント開発に方向転換出来たのかもしれません。もしベリヤが生きていたら、 出来上がった Искра を見て『早く量産しろ!』と言ったでしょう。

 

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旧ソ連末期からあるロシアの新聞 «Совершенно Секретно» にベリヤと К-36 に関わる記事*9が載っていました。 それによれば、ベリヤは Cortébert 社の図面を元に*10 作らせた Салют の大量生産を指示するも、3.5 mm 厚のムーブメントは今までの物とは大きく異なり、人民委員(今で言う大臣、ベリヤの事)の圧力にも関わらず極めて困難だったとあります。*11 *12


 

 ЧК-2М の登場 

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К-36 を大幅に改良した ЧК-2М を搭載した Луч ブランドの懐中時計 97К。 *13


ムーブメントの精度や品質、そして生産性を向上させるため、К-36 を元に厚みを従来の 3.5 mm から 4.6 mm に変更し、ブレゲひげゼンマイや18石の人工ルビーなどを取り入れた新しいムーブメント «ЧК-2М» *14 が開発されました。1958年に暫定的に策定された技術仕様 ВТУ 01-04-58 *15 に沿って、日差 ±15秒という高い精度に仕上げられた ЧК-2М は、Молния と同じチェリャビンスク時計工場で製造されると、1959年に Луч(Luch  / ルーチ)ブランドの懐中時計 97К に搭載され、文字板の色が異なる ЧК-83К/1(白)と ЧК-83К/2(黒)の2モデルが発売されました。(写真下)

また、1960年以降のモデル(写真上。 1963年第2四半期製)には、当初は無かった緩急針の微調整機構*16 を備えた改良タイプの ЧК-2М が搭載れています。


Луч の ЧК-2М を搭載したモデル ЧК-83К/1ЧК-83К/2  (1960年のカタログより)


ただ、当時の製造技術では、新しい暫定技術仕様(ВТУ 01-04-58)の高い精度を満たす製品の歩留まりが悪かったのか、要求精度に届かなかった ЧК-2М が К-36 などに適用されていた旧来の国家規格(ГОСТ 918-53)の仕様、日差 ±30秒として、1961年に登場する新しい懐中時計 «Кристалл»( Crystal / クリスタル )に搭載されました。*17

B品の ЧК-2М を押し付けられた Кристалл ですが、当初から計画されたブランドだったのか、はたまたあまりに歩留まりが悪いので、再利用先として急遽作られたのかは不明です。どちらにしても、少々気の毒な懐中時計となりました。


1962年第2四半期に製造された最期の Кристалл *18

高精度のムーブメントと共に華々しく登場した Луч 97К と、不遇の Кристалл ですが、製造期間は 4〜5年と短く 1964年末には ЧК-2М と共に全て姿を消します*19一見、短命に見える ЧК-2М ですが、これこそが後に «Molnija 3602» と呼ばれるムーブメンなのです。

 

Molnija  3602

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新しい Molnija 3602 を搭載した輸出用 Molnija(1965年製)。初期の物も現在良く
見掛ける Molnija と基本同じですが、機械の細部はかなり異なります。*20


Molnija 3602 の誕生! 

高い精度と品質を誇る ЧК-2М は、1962年に策定された業界規格 ОН 6-126-62 *21 により新しい型番 3602 が与えられると(精度も日差 ±20秒など若干仕様変更)、1965年にチェリャビンスク時計工場の懐中時計 Молния(モルニヤ)に採用され、第二世代の Molnijaモルニヤ)を誕生させます。その後、新生 Molnija は世界中へ輸出されると、«Molnija 3602» はソ連を代表する懐中時計用ムーブメントとして名を馳せ、21世紀始めまで製造されました。

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最も初期の Molnija 3602。1964年まで製造された КристаллЧК-2М を流用か?*22

上の写真の輪列受け(右下)には 4-64 の刻印があり、 これは 1964年の第4四半期製造を意味し、Molnija 3602 の最も初期のムーブメントです。その表面には К-36ЧК-2М と同じ美しい縞模様の装飾が施され、緩急針には ЧК-2М と同じ微調整機構が備わっています(写真右上)。しかし、これら製造に手間の掛かる仕様は、量産の邪魔として次々と廃止されていきました。装飾の縞模様は 1967年、緩急針の微調整機構は、非装備のモデル(精度が落ちる)*23 が 1968年に登場すると、1976年には完全に姿を消します。そして、その年に Molnija 3602 はさらに大きな仕様変更を受けます。


それは巻き上げ機構の刷新です。写真上右
は、量産のため装飾の縞模様や緩急針の微調整機構が廃止された Molnija 3602 で、左は現在もよく見かける Molnija 3602 です。見比べても違いは、丸穴車のネジが2本から1本に変わった程度にしか見えませんが、実際には丸穴車と角穴車のサイズや歯数が変更*24され、それに伴い一番受けも一新されています。特に丸穴車は、裏側のキチ車用の歯が廃止され、側面の歯が角穴車と共用という単純な形状(写真下左)となり、その取り付け方法も、従来のプレート2枚で挟み小さなネジ2本で固定するものから、ブッシュとネジだけの簡単な構造に変えられ、巻き上げ機構の生産性向上が計られています。

左:丸穴車の新旧。 右:新設計の一番受けと丸穴車、ブッシュとネジ(右の5点は旧型)



手本としたスイス製  Cortébert Cal. 620 の美しい外観を継承し、そしてより高い性能を求め К-36 から ЧК-2М へと改良を繰り返して来た懐中時計用 ⌀ 36 mm ムーブメントでしたが、残念ながら Molnija 3602 の早い段階で手間の掛かるそれらは放棄され、より生産性の高い量産型へと仕様変更されて行きます。

 

 3602 と К-36 の意外な関係
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旧ソ連の輸出用 Молния パーツリストより。*25

ムーブメントの型番 "3602" を定めた業界規格  ОН 6-126-62 *26 が制定されたのは 1962年で、この型番は特定の機械では無く、「 ⌀ 36 mm で、スモールセコンドの懐中時計用ムーブメント」を指す物でした。規格が発効された当時、該当するのが К-36 だったので、型番 3602 がすんなりと割り当てられます。
しかしその後、3602 の規格( ⌀ 36 mm でスモセコ)を満たす 4.6 mm 厚の新しいムーブメントが登場すると、3.5 mm 厚の 3602К-36)は、元祖ながらも型番を取り上げられ、後続か改良版とも取れる紛らわしい  ”3602 A" なる型番が割り当てられました。*27

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地板に入れられた «3602а» の刻印。本来は天輪に隠れて見えない。

この 3.5 mm 厚の機械には、正式な名称 «3602»  «3602 А»  や、通称 «ЧК-6» 、誤称 «3601» *28など、複数の呼称がありますが、これらはどれも紛らわしかったりするので、やはり «К-36» と呼ぶのが一番無難でしょう。



ソビエトの時計生産量

早々と量産型へ仕様変更した Molnija 3602 は、大量生産出来たのか。

旧ソ連の百科事典で最も有名*29な「ソビエト大百科事典」の第三版に前出の機械工学・機器製造省の副大臣で、懐中時計 Молния, Салют の製造で尽力し、ブラックな上司ベリヤの下で苦労された、我らの同志ブリツコ(К.М.Брицко)の論文が載っています*30
«Часовая промышленность»(時計産業)と題された 5,600文字からなる旧ソ連の時計産業史には 1940年から 1975年までの時計各種の生産数を示す表がありました。下の写真がそれで、赤く囲った карманные(ポケット)の行が懐中時計の年間生産数(単位:千個)です。*31


БСЭ: «Большая советская энциклопедия»f:id:raketa:20220104133741j:plain
数字は上から年号、総生産、腕時計、懐中時計、目覚まし時計、その他の時計
*32

懐中時計の生産数で目を引くのが 1960年の 21.9万個で、腕時計(наручные)や目覚まし時計(будильники)が戦前の 1940年に比べ大幅に増加しているのに対し、懐中時計は逆に激減しています。その年はチェリャビンスク時計工場が薄型 К-36 の量産に四苦八苦の真っ只中ですから、生産数の落ち込みと符合しています。

1950年の時点では既に К-36 の量産に苦しんでいた*33 にも関わらず、表では生産数が戦前のレベルにまで回復していますが、これは 1950年代末まで製造が続いた戦前モデルの Тип-1 や ЗиМ によって、生産数が下支えされていたのでしょう。そう考えると、それらが無くなった 1960年の生産数激減の説明がつきます。



生産性を考慮し厚みを 4.6mm に変更した新型 ЧК-2М も前年の 1959年に登場してはいますが、こちらはこちらで表面の装飾や高い精度など К-36 の手間が掛かる特徴を色濃く残していたので、結局生産を押し上げる助っ人とは成らなかったようです。

その後、ЧК-2М から型番を改め登場した Molnija 3602 は、早々に装飾や高精度などを廃止した量産モデル*34 へと移行すると、1970年には生産数を42.1万個に倍増させます*35。しかしそれでも尚、戦前の生産数(60.6万個)にすら戻って
いません。 1975年に漸く戦前のレベルまで回復しますが、この生産が伸びない原因は需要の落ち込み*36 なのか、それとも К-36 には何か厚みを増しただけでは逃れられない呪縛*37 があったのか。

 

 

どっこい生きてる К-36  

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1965年の Molnija 3602 登場で、それまでの К-363602 A)を積んでいた初代 Молния(薄いモルニヤ) が消滅かと思えばそうでも無く、1965年〜1967年の製造年が刻印された物が存在し、その刻印が廃止(1968年)された後の無刻印 К-36 を搭載した Молния まで存在するので、少なくとも 1968年までは製造されていたようです。また、1969年の日付が入る保証書の付いた Молния も確認されています。 

写真の Молния は平ヒゲと二番車の軸受け(中央)が真鍮製のブッシュという点で К-36(3602 А)だと分かります*38。 そして製造年度の刻印が無い事から 1968年以降に製造された初代の Молния (薄いモルニヤ)となります。ムーブメントに施されていた縞模様の装飾は無く、この年代では Molnija 3602 同様に簡素化された残念な仕様になっています。*39

何故に新しい Molnija が出来たのに、6年以上も К-36 を載せた古い Молния を引っ張ったのかは不明です。このモデルを最後に К-36 は23年、初代 Молния は 22年の歴史に幕を下ろしました。*40

 

 

時計工場の刻印あれこれ 

4.6 mm の 3602 は全てチェリャビンスク時計工場製ですが、それ以前の К-36 にはモスクワ第2時計工場(Второй Московский часовой завод)の刻印 "ч2з" 入った物があります(写真下)。刻印は数字の "423" に見えなくも無いですが、Часовой(時計)2(第2)Завод 工場)の頭文字から来てます*41。普通に考えると、"2чз"(第二・時計・工場) の並びの方が自然な気がしますが、きっと偉い人に「捻りが足りん!」と言われたのでしょう。

 
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"ч2з"(モスクワ第2時計工場)の刻印。(機械は 17石の Искра 用)

欧米のサイトにはキリル文字「Ч2З代わりに数字の「423」としている所もあります。またチェリャビンスク時計工場 "Челябинский часовой завод" の頭文字「ЧЧЗ」を使った刻印もありますが、これも「443」で代用しているのを見掛けます。因みにボストーク社も "Чистопольский часовой завод"(チストポリ時計工場)だったので同じ頭文字「ЧЧЗ」に略される事があります。ロシア語の資料に ЧЧЗ が出てくると、前後の文章をじっくり見ないとどちらを指しているのか分からず、とても苦労します。

 

そのボストーク時計工場について書いています。宜しければ読んでみて下さい。

 

黄色い Molnija 3602 

高い精度を誇る ЧК-2М の品質を継承した Molnija 3602 は、量産化の為に簡素化されましたが、ソ連の経済が急激に悪化し始めた1980年代から、それに歩調を合わせるかの様にその品質は更に低下し、ソ連崩壊後にはクロームメッキが施されず真鍮が剥き出しのムーブメントが登場すると、その安っぽい見た目も相俟ってか「黄色い機械*93 と呼ばれます。

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写真は右が元祖 К-36 でムーブメントの表面に綺麗な縞模様の装飾が施されています。この装飾は初期の Molnija 3602 にも継承されていましたが、1966年を最後に廃止されました。中央は中期 1990年頃の Molnija 3602 で、この頃には部品の仕上げも簡略化され、受け*42 に施されていた面取りも無くなります。

そして左が 1995年以降の「黄色い機械」と呼ばれる Molnija 3602 で、写真の物では石数は本来の 18石から 1946年に開発された К-36(右)と同じ 15石へと逆戻りし*43、かつて ЧК-2М より引き継いだ高い精度(日差 ±20秒)は最終的には -20秒〜+50秒にまで低下します。

 

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テンプの天輪からはコストの掛かるチラネジ(写真右)が取り除かれ、その分大きくシンプルな天輪に変えられています(写真左)。コストダウンは輪列の穴石にも及びます。二番車は真鍮製のブッシュ(写真左上)に置き換わり、それに続く三番車、四番車は口径の小さな人工ルビーに、ガンギ車の受け石は廃止され金属の蓋が嵌っています*44。この "黄色い機械" は従来の Molnija 3602 とは一線を画す、廉価版の様相を色濃く呈しています。



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Tribute 1984 версия 2 - Челябинский часовой завод «Молния»


現在モルニヤ社は、衝撃吸収装置が付いた Molnija 3603*45 を復刻させ、写真のような腕時計を製造販売しています。*46 個人的にはやはり、懐中時計*47 に載せて欲しかったんだけど、やっぱり売れないんだろうな。だからって中国製の Cal.2650S*48 は無いんじゃないか。


 

チェリャビンスクにちょっと寄り道

モルニヤ時計工場のあるチェリャビンスクと言えば、2013年の隕石落下が有名かも知れません。


Aleksandr Ivanov
, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

流れ星に願いを込めて…なんて悠長なこと言ってられません。隕石爆発の衝撃波は凄まじい。でも、ガミラスの遊星爆弾みたい。

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Pospel A, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

ロシア語版ウィキペディアに載っていた隕石爆発の衝撃波で壁と屋根が崩壊したチェリャビンスク亜鉛工場。しかし写ってる車がトロリーバス?とクレーン車だけだったら「これソ連時代の写真でしょ!」と言ってる。でもレトロでいい。下は倒壊した同工場を別角度から撮影したもの。でも…。

 

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Meanwhile in Russia : funny 

ワロタ。クレムリンならまだしも、ローカル過ぎるだろ。*49


チェリャビンスク亜鉛工場(Челябинский цинковый завод)を Google Map でも見つけた。(決して暇なわけではありません)

建物は新しくなって煙突も無いけど、トロリーバス?の架線と支柱、其の上の街灯は全く同じ。地図の中をウロウロしましたが、高い建物が無いので空が広い!

 

亜鉛工場から150mほど南下したら本当にトロリーバスが居た! 乗りたい。

 寄り道が過ぎました。

 

 

ブレゲひげゼンマイ

Molnija 3602 のブレゲひげゼンマイの動画を撮ってみました。

ひげゼンマイの外端曲線が持ち上がっているのが分かると思います。カチコチいってるのは Molnija 3602 ではなく、振り子時計の音です。*50*51

 

もっと拡大と思ったがデジカメに合うベローズを持っていないので、実体顕微鏡とスマホで拡大。このスマホ安物ですが動画に手ブレ補正が付いているので良かった。

広がって縮まって…が拡大されただけなんですが、お好きな方どうぞ。



Molnija 3601 って何?


その刻印から ЧК-6 とも呼ばれる事が多い К-36 ですが、 Molnija 3602 の一つ前のモデルという事から "3601" と呼ぶ人も海外には結構居ます。ソ連製ムーブメントの型番は、最初の二桁が機械の口径で、Molnija の場合は ⌀ 36 mm なので "36" となります。それに続く数字は次のように決まっています。*52

00 - без секундной стрелки(秒針なし)
01 - с противоударным устройством без секундной стрелки(衝撃吸収装置のみ)
02 - с боковой секундной стрелкой(サイドセコンド)*53
03 - с противоударным устройством и секундной стрелкой(衝撃吸収装置と秒針)

結局 "3601" は「 ⌀ 36 mm の衝撃吸収装置を搭載した秒針無しムーブメント」となり、口径以外は К-36 に擦りもしない型番となります。尚この番号は 192番まで延々と続きますので省略。*54

しかし "ЧК-6" は何の略語なんだろうか。まさか "Часы Карманные”(懐中時計)の頭文字じゃないだろうな…なら今度は逆に言ってやりたい「捻りが足りん!

*正確には " Часы Карманные с секундной стрелкой на «6» часов"(6時の位置に秒針のある懐中時計)らしいです。長いな…。 

 

 

Molnija 3603

Molnija ANTICHOC
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これは衝撃吸収装置を備えた Molnija 3603 を載せたモデルです。文字板にはモルニヤと並んで ANTICHOC(耐衝撃性) の文字も見えます。ソ連崩壊後の製品なのか MADE IN RUSSIA です。

 

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装飾が一切無く真鍮剥き出しのムーブメントは、ただただソ連の工業製品って感じです(らしくてこれも好きです)。  1994年までの Molnija 3603 にはメッキが施されていたので、それ以降の製品だと思います。ただ、このムーブメントではメッキ(テンプ受け、ガンギ受け)と真鍮(一番受け、輪列受け)が混在しており、また2番車の軸受けが(コストダウンで)本来なら真鍮製に置き換わる所が、まだルビーが使われている点などから、"黄色い機械" への過渡期の製品かもしれません。

 

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こちらはテンプを保護する衝撃吸収装置の拡大。
衝撃により可動する穴石と伏石を押さえるスプリングが見えます。しかしコストダウンなのか天輪がシンプルな物に変更され、特徴でもあったブレゲひげが普通の平ヒゲになっています。Web 上の資料の多くが К-36 を除き、3602、3603 ではブレゲひげゼンマイが採用とされています。*55 *56
しかし実のところ、これまでブレゲひげの 3603 を見たことが無い。資料に掲載されている 3603 の写真もよく見れば平ヒゲだったりします。

 

SLAVA なのに Molnija

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パッと見は Molnija (機械も Molnija 3602 )ですが、文字板には何故か "SLAVA"(スラバ / Слава) の文字があります。SLAVA はご存知の方も多いと思いますがモスクワ第2時計工場の事で、前出の通り一番最初(1947年)の Молния、そしてそのムーブメント К-36 を同工場が生み出しているので "SLAVA" でも文句は無いのですが、この懐中時計は 1976〜1979年ごろの製品*57 なので、30年の時を超えてどんな(大人の)事情で作られたのか凄く気になる。

 

こちらも変わり種ですが、ソ連製のボタン電池などあれこれ書いてます。宜しければご覧ください。

 

 

思い出の Molnija

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今から四半世紀以上前、ソビエト崩壊間もない頃に買った Molnija の懐中時計。
初めての機械式、初めてのロシア製*58、初めての懐中時計と「初」続きの思い出の時計です。

この時計、モスクワで購入なら自慢できるんですが、アメリカの通販ショップのカタログで見つけて注文しました。しかし今のようにワンクリックで購入できる時代では無く、全てが手紙かFAXの時代です。入手にはそれなりに手間と時間がかかりましたが、手にした時に喜びも其の分大きかった。価格は 5,000円くらいだった記憶があります。

 

うん十年ぶりに裏蓋を開けてよく見たら驚きの事実が…。

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Molnija 3603 なのに衝撃吸収装置が付いてない…!

輪列受けの左に 3603 の刻印が有るのにテンプの衝撃吸収装置が無い!
しかもテンプの受けだけメッキじゃない。前出の 3603 が平ヒゲだったのに対して、こちらはブレゲスパイラルのひげゼンマイだし。

Molnija 3602 の機械だが、輪列受けが無かったので 3603 のを拝借したのか、逆で Molnija 3602 のテンプ一式を拝借したのか。まあ購入した時期が時期だけに、『動くんなら、ある部品で組んじゃえ!』だったんでしょう。


最後は「懐かしいな〜」で終わろうと思ったが、予想外の結末となりました。マニアックな内容を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

間違いの指摘や、感想などをコメント欄へ頂けたら幸です。「はてなブログ」には頂いたコメントへの返信をお知らせる機能がありませんが、必ず返信していますので、お暇な時に覗いてみてください。

 

 

 

[更新日と内容]

2022.09.01 以前の「旧ソ連の懐中時計 モルニヤ Molnija」を2分割。後編を「Molnija 3602 編」として公開。
2022.12.27 新聞「トップシークレット」の記事がリンク切れしていたので修正と、本文を引用を追加。
2022.12.29 Кристалл の写真を機械面も写った物に入れ替え。
2023.01.16 「ソビエトの時計生産量」に、1960年の生産量増加について加筆。
2023.02.23 「К-36 の終焉」を大幅に書き換えました。
2023.05.09 「К-36 の終焉」を加筆修正。
2023.08.01 改行コードを削除
2023.09.04 「К-36 の終焉」を大幅に書き換える。
2023.11.12 「К-36 の終焉」を加筆修正。
2024.03.09 「Molnija 3602 の誕生!」 に「巻き上げ機構改良」を加筆。




              

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*1:実際のところはコピー。

*2:ごく一部のサイトで、改良型の К-36 を «ЧK-30» とする記述がありますが、信憑性が不明なのでここでは改良型としています。

*3:ブレゲひげゼンマイ仕様の К-36 は Искра が最終モデルですが、平ヒゲ仕様の К-36 を搭載した初代 Молния は、しぶとく 1969年頃まで製造されました。

*4:ブレゲひげ仕様の生産開始の1946年から 1947年の第1四半期まで。

*5:全体がフラットで薄型のひげゼンマイ。

*6:1948年頃にソ連側の要請で行われたスイス時計メーカーによる製品評価で、「量産される懐中時計用ムーブメントの厚みは 4.0 〜 4.5 mm が最適」と指摘されている。

*7: 1953年3月5日 死去

*8: マレンコフが首相だったが、第一副議長と秘密警察を率いる内務省大臣も兼務するベリヤが権力を掌握していた。

*9:参照:https://www.sovsekretno.ru/articles/istoriya/nashe-vremya-isteklo/ 新聞名は「トップシークレット」なので、タブロイド紙だったかもしれません。当初は購入に列を為すほどの人気だったみたいですが、現在は財政難で消滅しそうみたいです。ガンバレ!

*10:非合法(スパイ行為)に入手された物かもしれません。

*11:あのベリヤに脅されても出来なかったんだから、この薄いムーブメントは相当大変だったんでしょう。

*12: Лаврентий Берия требовал наладить массовое производство карманных часов «Салют», сделанных по чертежам швейцарской фирмы «Картебор», модели которой отличались от подавляющего большинства карманных часов высотой механизма в 3,5 миллиметра, а это было крайне трудно сделать, даже несмотря на давление всесильного наркома.
リンク切れが多いので検索用に本文を引用しています。
Автор: Виктор МИШЕЦКИЙ [ https://www.sovsekretno.ru/avtor/24172/ ]

*13:写っている  Luch 97К の文字板も汚れが酷かったので(画像ソフトで)大幅に *改良* されています。

*14:厚みが 4.7 mm の Cortébert Cal.616 のコピーでしょう。

*15:ВТУ : временные технические условия(暫定技術仕様)

*16: ロシア語では «микрорегулятором точности хода» 

*17:B品を Кристалл に載せるという資料は無いのですが、時計付属の保証書で、Луч の 97К が ВТУ 01-04-58 仕様とされているのに対し、 Кристалл は ГОСТ 918-53 仕様と記載されています。

*18:Кристалл の製造期間は、1961年〜1964年まで。

*19:製造期間は、Кристалл は4年、97К が5年です。それでも Искра の2年よりは長生き。

*20:違うケースのモデルもあります。このケースは 97ККристалл と同じ物だと思います。"Molnia" の文字はあまり見掛けない。

*21:次の囲み記事「3602 と К-36 の意外な関係」を参照下さい。

*22:ムーブメントの製造年の刻印は 1964年第4四半期。一方、Кристалл は 1964年第4四半期まで製造されました。

*23: 精度クラス1(± 20秒)から精度クラス2(-10〜+50秒、後に -15〜+40i秒)

*24: 丸穴車は 34 ⇒ 39、角穴車は 49 ⇒ 55

*25:画像には "...MASHPRIBORINTORG" とありますが、これは旧ソ連の貿易を行う組織 "マシュプリボリントルク(露:Машприборинторг )" です。日本にも高性能な顕微鏡(もちろん元ドイツの製品)が輸出されていた様で、"万能測定顕微鏡 UIM-21 型" で検索すると、1970年代の広告が載った資料が出てきます。ロシア連邦となった現在もこの組織は存続しているようです。

*26:"ОН" は、"Отраслевые нормали(業界規格)" の略称です。

*27:もっと敬意を払えと言いたけど、失脚したソ連指導者にも似通っていて、ソ連らしい感じがする。

*28:詳細は囲み記事「Molnija 3601 って何?」を参照下さい。

*29:政治色が強いので正確とは言えないそうです。

*30:第29巻の29ページ。ロシア語ですが、こちらで全文読めます。https://rus-bse.slovaronline.com/88866-%D0%A7%D0%B0%D1%81%D0%BE%D0%B2%D0%B0%D1%8F%20%D0%BF%D1%80%D0%BE%D0%BC%D1%8B%D1%88%D0%BB%D0%B5%D0%BD%D0%BD%D0%BE%D1%81%D1%82%D1%8C ただし、表は誤っているので、下の写真を参照下さい。

*31:10年刻みの数値ですが、最後だけ5年なのはこの巻(Vol.29)の発行が 1978年だからです。

*32:掛け時計、置き時計、床置き時計、チェス時計

*33:生産開始は 1946年

*34:当初の精度 ±20秒/日が、1970年時点で −10〜+50秒/日へ。ただ、緩急針の微調整機構を残し初期の精度を維持したモデルも 1976年まで存在しました。

*35:製造ラインの増設や、工員の技術向上なども有ったとは思いますが、製造工程の廃止や簡素化も大きくかったと思います。

*36:市場の懐中時計から腕時計へ移行。

*37:もちろん К-36 を厚く、そして安ぽくした事に怒るベリヤの怨念(1953年処刑)とかでは無く、製造の自動化を妨げ、尚且つ克服出来ない設計上の問題点とか…。

*38:3602 はブレゲひげゼンマイで 2番車の軸受けはルビー。

*39:写真の Молния は文字盤が汚れていたので画像ソフトで修正しています。見る人が見れば分かると思うので先に白状します。

*40:1969年の Молния が最後の場合

*41: 「モスクワ(Московский)は何処行った!」…と言いたい

*42:地板と共に歯車などを挟み込んでいる機械表面の板状の部品  /  ブリッジ

*43:黄色い機械には一部で18石のモデルも存在します。

*44:人工ルビーの数や大きさは、製造時期やロットにより異なります。写真の黄色い機械は 1995〜1999年に製造されたモデルです。

*45:下の方で出てきます

*46:Sellita製のムーブメントを搭載したダイバーズウォッチなども販売しています。

*47:https://molnija-ltd.ru/catalog?category=pocket-watches

*48:http://www.ranfft.de/cgi-bin/bidfun-db.cgi?10&ranfft&&2uswk&China_2650S

*49:何のこっちゃらさっぱり分からん方、どうぞ。https://youtu.be/rYGWG2_PB_Q

*50:愛知時計の30日巻で、止めるの忘れとった!

*51:よく聞くとジリジリというノイズも入っていますが、これはマクロレンズの手ブレ補正用モーターの音で、これも切るの忘れとる!

*52:1962年に策定された、業界標準規格 «ОН 6-126-62» で規定されています。

*53:スモールセコンド

*54:ロシア語ですが、時計の技術書 「 "Устройство и технология сборки часов"  1976  / 著: В.Д. Попов 」の P21〜P23 に全て載っています。

*55:初期の Салют に搭載された К-36 はブレゲひげ仕様でした。

*56:参照:http://linuxfocus.org/~guido/molnija-pocket-watch/

*57:製造年度は、"SU" の刻印が無い(1968 〜 1979)、天輪の重りが18個(1965〜1979)の情報から範囲の一端を見つけ、緩急針が短い(1974 〜 )、丸穴車が一本ネジ( 1976 〜 )の順で絞って行き、最終的に 1976 〜 1979年と判断しました。ただ、公式の資料がほとんど無いので、参照する情報によりある程度のブレが出てしまいます。

*58:もう少し早ければソ連製だったのに!