昭和の時計とソ連の時計

古い時計のあれこれ

CIAは見た! ソ連の時計工場

CIAレポート

公開日:2023/10/07    最終更新日:2023/11/15  

アメリカ中央情報局(CIA)の機密解除された資料は従来、メリーランド州カレッジパークにある国立文書館の新館*1 に設置された端末でのみアクセスが可能でした。しかし、2017年 1月 18日に機密解除された約 93万点、1300万ページに及ぶ文書類がインターネット上に公開されました。*2 (知らんかった!) そして、その膨大な文書類の中に、ソ連の時計工場に関するレポートが含まれていた事に、今ごろ気付いた。

CIA-RDP82-00046R000400170001-8.pdf 


これがその CIA レポート(1枚目)です。一番上に、CENTRAL INTELLIGENCE AGENCY  INFORMATION REPORT(中央情報局 情報レポート)とあり、その右に小さい文字ですが、要約すると「本資料は、スパイ防止法の意味において、米国の国防に影響する情報を含んでおり、いかなる方法であれ、無権限者への譲渡または暴露は法律で禁止されています。」と書かれています。そして、一番下には CONFIDENTIAL(機密)の文字が。もう、わくわくが止まりません。その上、赤線
の部分には、

国:ソビエト連邦(モスクワ州)
件名:モスクワの第2機械(時計)工場

とあります。もう、
キタ――(゚∀゚)――!!(歳がバレる)って感じです。「モスクワの第二」って事は、あの «Слава»(スラバ)のモスクワ第2時計工場*3 でしょうか。海外のサイトでは「モスクワ第2時計工場の CIAレポート」とする所もありました。これは凄い!何が書いてあるのか、期待に胸を膨らませ、詳しく見て行きます。

THIS IS UNEVALUATED INFORMATION(未評価の情報)の文字も見られるので、全て正確とは限らないみたい。

注意】脚注に記載の URL の中には、非暗号化や、簡易的なサーバー証明書を使ったサイトも有りますので(その旨を書いてあります)、アクセスにはご注意く下さい。

 

幻のモスクワ第2時計工場

機密解除されたとは言え、レポートには所々に白く抜けた部分(日本でいう黒塗り)があります。ただ、情報源の秘匿が目的なのか、工場に関する情報で削られた箇所はそう多くないように見えます。レポート1枚目(上)は、2枚目以降に対する正誤情報で、キリル文字の固有名詞などをラテン文字に起こす際にミスがあったようです。

CIA-RDP82-00046R000400170001-8.pdf : P2

そして2枚目のレポートの本文、 最初の項目 " 1. "(画像上)には「第2機械(時計)工場」の所在に関する重要な情報が書かれていますので、細かく見てゆきます。

The Mechanical (Clock) Plant #2 (Mekhanicheskiy (Chasovoy) Zavod 2)  was located in an old two-story brick building, about 40x25 m. in size,

カッコ内の "Mekhanicheskiy (Chasovoy) Zavod 2" は、キリル文字をラテン文字に起こしたもので、ロシア語では «Механический (Часовой) Завод №2» となります。もちろん意味は同じで「第2機械(時計)工場」です。そして、『工場は 40x25 m の大きさで、2階建ての古いレンガ造りの建物にあった』とあります。

between Malaya Tul'skaya, and Serpukhovskiy Val streets, Moscow.

工場がモスクワの2つの通りの間に位置するとありますが、この通りの名前もラテン文字に起こしたもので、ロシア語では «Малая Тульская»(マラヤ・トゥリスカヤ通り)*4 と «Серпуховский Вал»(セルプホフスコ通り)*5 となります。

Although the plant's postal address was Malaya Tul'skaya St. 1/2, the building in which the plant was housed was actually situated some distance from this street, adjacent to an old boiler house "Kotelnaya",

『工場の住所は Malaya Tul'skaya St. 1/2(ロシア語で Малая Тульская ул. 1/2)でしたが、工場の入る建物は実際にはこの通りから離れた場所にあり、古いボイラーハウス「Kotelnaya(ロシア語で Котельная)に隣接していた』とあります。

and surrounded by several workers dwellings which had no connection with the the plant (See [          ] Sketch attached).

『そして、工場とは関係の無い労働者用住宅に囲まれていました。(添付の見取り図 [           ] 参照)』とあります。最後の「見取り図」は工場周辺の簡単な地図です。See の後、6文字分が白抜きで隠されています。因みに "with the the" と成ってるのは、ご愛嬌でしょう。

 

Фотоo: ALYOSCHIN (pastvu.com/p/29335)

項目 " 1. " を分けて見て来ましたが、 実は初っ端(下)で、私のモスクワ第2時計工場の深部を垣間見るという夢に暗雲が垂れ込め始めた…

The Mechanical (Clock) Plant #2 (Mekhanicheskiy (Chasovoy) Zavod 2)  was located in an old two-story brick building, about 40x25 m. in size,

それは、『工場は 40x25 m の大きさで、2階建てのレンガ造り』という部分です。
この第2機械(時計)工場は、実際のモスクワ第2時計工場*6 に対し、先ず小さ過ぎます。確かにモスクワ第2時計工場の前身とも言える*7 モスクワ電気機械工場(МЭМЗ)*8 *9  は当初小さな建物(写真上)でしたが、このレポートが書かれた 1951年(発行は 1954年) には、既にモスクワ電気機械工場の敷地内*10 に 1930年建設の地上 4階、地下 1階の立派な時計工場のビル(写真下)がありました。

Фотоo: Sergey Zyablikov (pastvu.com/p/1018796)


更に、建物の形状も実際のモスクワ第2時計工場は L字型をしており、サイズも第2機械(時計)工場の 40x25 m に対し、通りに面した側(図の下側)は長さ約 118 m、もう一方は約 72 m と大きく異なります。ただ、この敷地にはモスクワ電気機械工場の建物が複数ありますし、モスクワ第2時計工場も図の様にそれらの2号棟、3号棟などと通路で繋がっていたりもします。件の建物は時計工場本館でこそありませんが、敷地内の関連する施設の一つかもしれません。

Строительство Москвы  1929.09


因みにこのモスクワ第2時計工場は、ソ連がアメリカで買収した時計工場 Ansonia Clock Company(アンソニア時計会社)の工作機械(数百台)を受け入れるべく、突貫工事で建てられました。アンソニア社の設備輸送で5ヶ月間アメリカで作業したメンバーが帰国すると、出発前には更地だった所にビルが建っていて仰天したとか。ただ、完成していたのは1階だけで、2階のコンクリートは半乾きで、その上は型枠状態だったらしい。*11


最後のモスクワ第2時計工場


«Слава»
(スラバ)として良く知られる写真のモスクワ第2時計工場ビルは、1960年代に初代の第2時計工場と同じ敷地内の、Ленинградский проспект(レニングラード通り)に面した一等地に建てられました。しかしソ連崩壊後、モスクワ第2時計工場は不動産目的で買収され、このビルは紆余曲折の末に 2010年に解体されてもう無い。涙

Фотоo:  salech hcelas  / CC BY 3.0

 

第2機械(時計)工場は、時計工場本館ではありませんでしたが、隣接する重要な施設かもしれません。と言う希望も、"about 40x25 m. in size" に続くこれ(下)で、消え去りました。

between Malaya Tul'skaya, and Serpukhovskiy Val streets, Moscow.

第2機械(時計)工場が Малая Тульская улица(マラヤ・トゥリスカヤ通り)と Серпуховский Вал(セルプホフスコ通り)の間にあると書かれてますが、これはモスクワ南部、現在の Даниловский район(ダニロフスキー地区)であり、モスクワ第2時計工場はモスクワ北部、現在の Район Беговой(ベゴヴォイ地区)の Ленинградский проспект(レニングラード通り)と 、1-я улица Ямского Поля(ヤムスコヴォ・ポリャ1番通り)、3-я улица Ямского Поля(ヤムスコヴォ・ポリャ3番通り)に三方囲まれたモスクワ電気機械工場の大きな敷地に建っています(当時)。これでモスクワ第二時計工場では無い、場所も違う、という夢も希望も無い事実が判明しました。マジか。

Yandex Map


地図の北、2МЧЗ が「モスクワ第2時計工場」で、南の Механический  Завод  2 が「第2機械(時計)工場」の場所です。この2つは8km 近く離れいます。因みに東の 1МЧЗ が「モスクワ第1時計工場」で、中央があの「クレムリン」です。

もう、ガックシです。この紛らわしい「第2機械(時計)工場」は、いったい何者なのか。私のささやかな夢を奪った、こいつの正体を暴いてやる!*工場は悪くありません

この後、レポートのスパイ内容そっちのけになりますので、ご注意ください。


謎の時計工場を追え!

あまり、ワクワクドキドキな内容でも無いので見出しだけでも。

既出の通り、CIA レポートには Malaya Tul'skaya St. 1/2(露:Малая Тульская ул. 1/2)という住所が出てきますが、『実際には、工場はこの通りから離れた場所にある』とも書かれており、工場の正確な住所が分かりません。また、この住所(1/2 の部分)も現在は見当たりません。ただ、工場周辺の道路が «Малая Тульская улица»(マラヤ・トゥリスカヤ通り)と «Серпуховский Вал»(セルプホフスコ通り)という事はレポートから判明しています。

先ずは王道の «Механический (Часовой) Завод №2»(第2機械(時計)工場)で検索するも、思うようなものがヒットしません。Механический(機械)を除かれ、「モスクワ第2時計工場」関連が大量にヒットしますし、逆に語句の完全一致だと1件*12 だけで、有益な情報なしです。Часовой(時計)のキーワードを外すと、Механического завода №2(第2機械工場)がヒットしますが、場所も業種も異なります。また「〇〇第2機械工場」というのも多く埒が明かない。

CIA-RDP82-00046R000400170001-8.pdf 

そこで CIA レポート(上)には工場がadjacent to an old boiler house "Kotelnaya" (ボイラーハウス "コルテルナヤ" に隣接する)」とありますので、この "Kotelnaya" と名付けられた施設を探せば手っ取り早いと思ったのですが、"Kotelnaya" をロシア語に直すと  Котельная で、意味は 「ボイラー室」でした。ボイラーハウス「ボイラー室」…何の捻りも無い安直な名前がソ連らしいですが、これも無いよりましです。早速、通りの名前と「ボイラー室」で検索すると、日頃の行いが良いので一発でドンピシャなページがヒットしました。

Фото: theconstructivistproject.com

Котельная (завод электроизмерительных приборов - МЗЭП)  [ Комплекс жилых домов по Малой Тульской улице ]

ボイラー室電気計測機器工場 - МЗЭП [ マラヤ・トゥリスカヤ通りにある集合住宅 ]

と、タイトルの付いた記事をソ連構成主義建築*13 のポータルサイト «Конструктивистский проект» で見つけました。*14 手のひら返しの「ボイラー室」様々です。掲載の写真(上)は、1930年撮影と少々古いですが、大きな煙突を2本備えたボイラーハウス(1929年建設)が写っています。この風景、どこかで見たような気が…


CIA-RDP82-00046R000400170001-8.pdf 


これです。CIA レポート添付資料の見取り図。これの左側から撮影すると、ボイラーハウスの写真みたいになる気がする。図中、赤で囲った2箇所は "5. Chimney stacks"(煙突)[見取り図右に番号説明] で、写真にもちゃんと煙突が2本写っています。そしてそれに寄り添う形で建つ高い建物が、図の緑で囲った "4. Old boiler house"(古いボイラーハウス)でしょうか。だとすると、ボイラーハウス手前に写る低い建物が、第2機械(時計)工場となる建物、又はその場所と考えられます。

また、ポータルサイト «Конструктивистский проект» の記事には улица Серпуховский Вал, 7 という住所が載っていました。これを元に新しく見つけた画像には、CIA 見取り図の "1. Mechanical Plant #2"(第2機械工場)下にある "6. Workers Dwellings"(労働者用住居)が図の通りに 4棟写っています。 ボイラーハウス写真 = CIA 見取り図、という様相が増してきました。

Фото: Tuxedo ( pastvu.com/p/94235 )

 

責任者出てこい!


レポートでは、第2機械(時計)工場は周囲を関係の無い労働者住居(写真上)に囲まれているとありますが、その住居は «Красная Москва»(赤いモスクワ)で有名な香水の製造工場   «Новая заря»(ノーヴァヤ・ザリャー)*15 の従業員用集合住宅でした。ボイラーハウスも住宅用の設備だったかもしれません。因みにこの集合住宅は欠陥建築でした。(写真下)

Фото: IBarantsev ( pastvu.com/p/68643 )

大戦中にドイツ軍が近くに落とした 250kg 爆弾の衝撃波に外壁は耐えまたが、爆風が吹き抜けた後、気圧差によって生じる爆心地に向けて吹き戻す強風により、外壁は吸い込まれるように剥がれました。確かに外壁だけきれいに無い。設計ミスにより外壁と内壁の接合が非常に弱かったそうです。*16 これはもう「責任者出てこい!」状態です。

 

しかし、 ボイラーハウス写真と CIA 見取り図にいくら共通点が多くとも、第2機械(時計)工場の住所が分からない以上、写真の場所と断定は出来ません。そこで、検索してモスクワ電気計測機器工場とを結びつける重要な地図を見つけました。仕事が早いと言って欲しい。

www.ktso.ru/kont/mzep/mzep.php

セキュリティーや火災警報機器の情報を扱うサイト "Каталог ТСО"*17 に、ソ連崩壊後に株式会社となった "ОАО  Московский завод электроизмерительных приборов"(公開株式会社 モスクワ電気計測機器工場)を紹介するページがあり、そこに工場へのアクセス地図(赤線:自動車、黒線:駅からの徒歩*18)が載っていました。通りの名前は2本共同じ(М.Тупьская ул. は省略形)ですし、周囲の集合住宅の形状も一部異なりますが、年代を考慮すれば CIA レポートの見取り図と同じと言えるでしょう。

これで謎の「第2機械(時計)工場」と、ボイラーハウスの写真、そしてソ連崩壊後の「公開株式会社モスクワ電気計測機器工場」の場所がほぼ一致と言えるでしょう。あとは、工場の名前が異なる点を調べます。

実は、ボイラーハウス写真のページの一番下に、ちゃんと Yandex Map が出てました。やってもうた。

 

その正体を暴け!

内容が地味なので、見出しで盛り上げてみました。

果たして第2機械(時計)工場とモスクワ電気計測機器工場との関係は? 先ずは一番手掛かりが多そうな、現存するモスクワ電気計測機器工場から調べます。すると工場の詳細な社史が見つかりました。*19 *20 トントン拍子に見えますが、結構苦労してます。

МОСКВА энциклопедия (1980)  Р416


あのボイラーハウス写真の5年後、1935年にモスクワの Москворецкий район(モスクヴォレツキー地区)*21трест местной промышленности(地場産業トラスト)*22 により、Пишущая машинка(タイプライター)の修理や Арифмометр(卓上計算機)、自転車、ゼンマイ式玩具などを扱う小さな工場 «Точная механика»(精密機械)が設立されます。写真(上)は今は無き「モスクヴォレツキー地区」の区画地図です。*23 地区の南西、赤い印の辺りがボイラーハウスと精密機械工場の所在地です。

 

Фото: dvornjaga ( pastvu.com/p/1845998)

1943年11月、 «Точная механика»(精密機械工場)を基礎に Второй механический завод第2機械工場が設立されます(数字じゃ無くて、Второй ですか)。早々と、第2機械工場が登場します(でも「時計」の文字が無いけど…)。これでモスクワ電気計測機器工場と第2機械(時計?)工場の繋がりが判明し、ボイラーハウスの写真、CIA の見取り図、工場の案内図、この3つの一致が確定しました。
そして、CIA レポートの『工場は古いボイラーハウスに隣接していた』との記述から、第2機械(時計?)工場が写真に写る赤丸の建物、又はその場所に位置した事も確認出来ました。 

第3機械工場を探せ!

探す必然性が全く無いのですが、探したらありました。あるんかい!*24

МОСКОВСКИЙ МЕХАНИЧЕСКИЙ ЗАВОД №3*25 

モスクワ第3機械工場。1938年にタップやファンなどを製造していた工場を元に設立されています。モスクワ電気計測機器工場と違い、工場名は変わらず現在もモスクワ第3機械工場として、創設期から作り続けているバイプベンダー機をメインに、機械製造と各種金属加工を行っています。上の図は最初に製造したパイプベンダー ВМС-23 で、下の動画は最新機種。80年経ってもあまり変わらない気もする。

ХИТ РООДАЖ(売れ筋)らしい、УГС-6/1А 万能パイプベンダーです。今なら在庫ありで、税込み価格 475,000 руб(約74万円)みたい。

 

歴史は続きます。
1953年、Второй механический завод(第2機械工場)は、Московский завод «Электросчётчик»(モスクワ電気メーター工場)と改名します。*26 そして新しい機器の量産を開始。最初のモデルは単相誘導電力量計 СО-1 でした。透明な箱の中で銀色の円盤が回ってるあれです。最近はデジタルですが。*27
残念ながら、モスクワ電気メーター工場製の電力計 СО-1 は見つかりませんでしたが、その後継機の電力量計 СО-2 が «Старый Свет» という、「電気ランプとソビエト照明のバーチャル博物館」(簡易 SSL サイト)にありました。色々と好きな人が居るんですね。(お前が言うなですが)

old-lighting.ru


1970年、モスクワ電気メーター工場は、Московский завод электроизмерительных приборов(モスクワ電気計測機器工場)に改名。ここでようやく現代の名称になります。そしてソ連崩壊後の 1993年、工場は民営化され ОАО  «Московский завод электроизмерительных приборов»(公開株式会社 モスクワ電気計測機器工場)となります。

これでようやく、1935年の «Точная механика» (精密機械工場)から現在まで全てが繋がった。終わりだ〜!と思ったら、変なものを見つけてしまった…

 

 その窓を調べろ!

まだ読んでる人居るんだろうか。居たらあと 5,500文字です。頑張ろう!


Слева - фото theconstructivistproject.com  /  Справа - фото Oleglashin (www.msmap.ru)


Фото: www.msmap.ru


Фото: Oleglashin (theconstructivistproject.com)  

上のカラー写真は、2015年に撮影されたモスクワ電気計測機器工場です。ボイラーハウスの時代から残っているのは煙突一本だけかと思いましたが、工場の奥側から撮った写真(下)を見て気付きました。三角屋根も縦長窓も、黒白写真のボイラーハウスと同じだと。すると手前の隣接工場もボイラーハウスと同じ高さに増築され、そのまま使われている? だからカラー写真の建物がボイラーハウスに比べ縦長に見えるのか。

Фото: Oleglashin (www.msmap.ru)

という事で、Google Map のストリートビュー(2014年の画像)で確認しました。色こそ同じですが、中央の縦長窓を境に左右で窓の造りが異なりますし、窓の感じも黒白写真に写るものと似ています。右はボイラーハウス、左は隣接工場に見えてくる。


下のストリートビューは、先程の位置からずっと右側の工場奥で、この角度から見ると縦長窓の向こうに四角い窓が6つ見えます。これはボイラーハウスの隣接工場(窓が6つ)と同じです。まあ、増築された箇所なので絶対とは言えませんが、普通は下階と揃えるでしょう。 そうなると、工場は4階に増築こそされているが、ボイラーハウス共々80年以上使われている事になります。エコなの?

 

変な所に気付いて長くなりましたが、これで終わり…では無く、また変な所に気付いてしまった。永遠に終わらない気がしてきた。
写真(下)に写る赤丸の建物は、後の第2機械(時計)工場という事は確認出来ましたし、ソ連崩壊後も増築して使い続けている事は先ほど分かりました。問題は、1930年の古い写真では窓が3段(一番下は妙に低いけど)で3階建てなのに、1951年の CIA レポートでは1階減って『2階建の古いレンガ造り』とされている点です。

Фото: dvornjaga ( pastvu.com/p/1845998)

逆に2階建てが3階建てになら増築という事で解決ですが、減るのは問題です。これを解決出来そうな情報を探します。先ずは CIA レポートのこの記述(Page 2、5-a)。

5.  As of June 1951, Mechanical Plant #2 contained the following shops: 
a. Mechanical Shop -- this shop, occupying most of the basement area and employing about 40 persons, 

『第2機械工場には機械部門があり、地下の大部分を占め…』とあります。この工場には地下室がありました(それなら項目 " 1. " に書いといてよね)。次の重要なヒントになるのが、1937年のボイラーハウスや集合住宅周辺の詳細な地図です。

retromap.ru

 緑で囲ったのが香水工場の従業員用集合住宅、青がボイラーハウスで、赤が隣接する工場建物(この頃は精密機械工場)です。集合住宅には見辛いですが К5Ж の記号があります。これは КЖКаменное жилое(石造りの住宅)で、レンガ造りの住宅となります。そして数字は建物の地上階数*28 です。そして、К5Ж は「レンガ作りの5階建て住宅」となり、あの爆撃で壁が剥がれた写真とも合致します。そして、赤で囲った工場建物の К2Н は、 Каменное нежилое(石造りの非住宅)+ 2階で、「レンガ造りの2階建て非住居(工場)」となります。*29 地図からは地下室の有無は分かりませんが、CIA レポートの2階建ては裏付けられました。建物を途中で削るとは考え辛いので、2階建てなのになぜ窓が3段なのかを調べます。

ЧЧЗ ВОСТОК   Про Часы  (YouTube)

これは、ボストーク時計工場を紹介した動画の一場面です。工場地下ですが、壁の高い位置に明かり取りの窓が見えます。もし、件の工場建物も同じような構造(又はもっと半地下)なら、一番下の窓は地下室への明り取りで、不自然なまでに地面ギリギリに位置する点も納得出来ます。多分、これが2階建てなのに窓が3段の理由でしょう。

やれやれ、これで工場や建物に関する疑問が全て解決です…と思いきや違う。まだ有るんかいと言いたい。肝心の「第2機械(時計)工場」が、スルーされたままソ連崩壊後の公開株式会社モスクワ電気計測機器工場まで来てしまってる。
その肝心の(時計)は、CIA レポートの中、項目 " 2. " にありました。第2機械工場設立の8年後、1951年の様子が書かれています。工場は家庭の電力消費を記録するための電力メーターの生産に従事していたが、

CIA-RDP82-00046R000400170001-8.pdf 

『しかし、1951年6月時点では、この工場は小型の自動車や動物など様々な金属製の機械式おもちゃの生産と、時計の組み立てに従事していました。この工場で製造される時計には、置き時計や小型の振り子時計がありました。ここで製造されたのは針、文字板、ケースのみで、ムーブメントは他の場所で製造され、この工場に出荷されました。』

と書かれています。この事からレポート作成者が、件名を「モスクワの第2機械工場」とすると何を作る工場か分かり辛いため、今は時計をメイン*30 で作っているので「時計」の文字を工場名の真ん中に入れたんでしょう。なら、最後に入れろよ…と言いたい。長々と書いた(読ませた)末の凄いオチですが、ようやく「モスクワ第2機械工場(時計)」も片付きました。やれやれだ。

 

そして誰もいなくなった

本当に居なくなる…

モスクワ電気計測機器工場(МЗЭП)の公式ベージ www.mzep.ru  へアクセスすると、何故か格安航空券のサイトへ飛ばされる(危ない)…嫌な予感は的中し、ロシア最大の電力量計メーカーとも言われたモスクワ電気計測機器工場は倒産していました。やっぱりか。


1990年代には、単相の電力量計市場では事実上の独占企業だったモスクワ電気計測機器工場ですが、2000年代に市場の求める誘導型電力量計から電子型電力量計への移行に迅速な対応できず、急速に競争力を失います。2010年にはシェアが 15% にまで低下し、その独占的だった地位を10年余りで大きく失いました。*31

そして、モスクワ電気計測機器工場は 2009年、ИК «МагМа» (投資会社マグマ)*32 に買収され、再建を後押しされます。しかし、マグマ自身の経営悪化(下の囲み記事参照)もあり、工場は 2016年6月に破産宣告がなされました。2017年6月には法人が支払不能となり、破産手続きが開始され、2020年10月に破産手続きが完了し、モスクワ第二電気計測機器工場は消滅しました。*33 何ともソ連の工場らしい最後でした。涙

計画生産に首までどっぷり浸かり、競争力の無いソ連の工場には厳しい末路が待っていました。これはモスクワ第二時計工場も同じです。*34 CIA レポートの工場がどちらだったにせよ、終着点がココとは…

ИК «МагМа»(投資会社 マグマ)

乗っ取り屋と称された投資会社マグマは、かつて不動産目的に企業買収を繰り返した悪名高き «Росбилдинге»( ロスビルディング)の残党が立ち上げ、その悪質な手口(脅迫、文書偽造など)でモスクワに広大な工場敷地を有しながらも、没落する嘗てのソ連国営工場の買収を繰り返した(モスクワ電気計測機器工場が切り売りされなかったのは奇跡か?)。
しかし、そのマグマにも終焉が訪れる。それは極低温装置でロシア最大の企業  НПО "Гелиймаш"(ゲリマシュ)*35 と、その関連会社でヨーロッパ最大の液体ヘリウム生産工場 ООО "Криор"(クリオール) *36 の買収だった。これらは、ルナ25号を月に激突させたロスコスモスや国防省のサプライヤーでもある事から捜査当局が介入し、マグマの創設者 Владимира Курбатова が 2014年に起訴され、2021年には有罪判決を受けている。*37 *38 そしてマグマも消滅。

この事件がモスクワ電気計測機器工場の倒産を早めんだろうな…

 

ところで、モスクワ電気計測機器工場の跡地には、ЖК CO_LOFT というアパートメントを備えた複合施設が建つそうです。でも煙突は残すのね。

coloft.net


ただ、内装を見ると「レンガ」造りなんだけど…ボイラーハウスと機械工場はまだまだ使うんかよ。

coloft.net

 

大団円

これで終わりですが、多分「おい、レポートの中身はどうした!」と言われるかもしれませんが、時計工場という観点から見ると、組み立てだけ(針や文字板は製造していましたが)、しかも電力量計が専門だった工場での一時的なものなので、特筆すべき点は残念ながら見当たりませんでした。

しかし、レポートの内容は、機械設備の種類や能力、管理部門の構成、そして労働者の給料から警備員の人数まで、詳細かつ多岐に渡ります。また、月末になると必ず生産計画の遅れを取り戻す残業が発生したとか、詳し過ぎるので案外、全てを知る工場長辺りが、コロッと騙されたか、買収されて作成したのかも。あり得る!

Working conditions in the plant were relatively poor because there were no shower facilities, the equipment throughout the plant was generally old and dilapidated, the two washrooms were always filthy, and the plant was generally dirty.

そんなレポート中で一つ目を引いたのが、労働環境に関する記述(上)の「工場は古くてボロくてシャワーも無くて」*39 に続く

『2つあるトイレはいつも不潔だった』*40

という一文です。これで思い出しました。椎名誠さんの著書「ロシアにおけるニタリノフの便座について」です。「シベリヤ大紀行 ーおろしや国酔夢譚の世界を行くー」*41(1985年放送)の撮影で訪れたソ連について書かれていますが、内容をざっくり言うと「ロシアのトイレは超汚い」です。 

過去私の見てきたいかなる凶悪型の汚れ便所よりも汚かった。堂々と果てしなく圧倒的決定的に汚かった。どう汚かったか。筆舌につくしがたいとはこのことで…*42

と書かれています。「公衆トイレはそんなもんでしょう」と思われたかもしれませんが、これはレストランのトイレを前にしてのセリフです。筆舌に尽くし難い続きは「ロシアにおけるニタリノフの便座について」でどうぞ。*43  

長々と書きましたが、この CIA レポートの感想は「やっぱりトイレ汚いんだ…」

 

なんだこの終わり方は。

CIA レポートを読んでみたい方は、ここにリンクを張っておきます。

モスクワの第2機械( 時計)工場
MECHANICAL (CLOCK) PLANT NO. 2 IN MOSCOW | CIA FOIA (foia.cia.gov)

CIA の機密解除されたレポートを検索して、何かを暴きたい人はココ。でも、夜道には気を付けて…
Freedom of Information Act Electronic Reading Room | CIA FOIA (foia.cia.gov)

 

 

[更新日と内容]

2023/10/07 公開
2023/10/11 記載のURLについて、「簡易 SSL 証明書サイト」、「非暗号化サイト」、「証明書切れ」を記載しました。証明書切れはリンクを切りました。
2023/11/12 Google Map ストリートビューが自動表示されない為にリンクを追加。
2023/11/15 上記の問題が解決したのでリンクを削除。

 

トップへ戻る

*1:The National Archives at College Park, Maryland | National Archives

*2:https://www.cia.gov/readingroom/

*3: 2МЧЗ : Второй Московский часовой завод 又は 2-й Московский часовой завод     

*4: https://ru.wikipedia.org/wiki/Малая_Тульская_улица

*5: https://ru.wikipedia.org/wiki/Серпуховский_Вал

*6:2МЧЗ : Второй Московский часовой завод 又は、2-й Московский часовой завод

*7:厳密に言うと、モスクワ電気機械工場の時計部門と、アメリカで買収した Ansonia Clock Company の設備等を受け入れるため新設された時計工場(モスクワ第2時計工場)とが合併した。

*8: Московский Электромеханический завод

*9: 初期の頃は写真の看板(見辛いが)に有るように、МЭМЗА とされていました。

*10:大通りから脇道を 80m ほど入った場所。

*11:工場ビルは鉄筋コンクリートフレーム+白いケイ酸塩レンガの外壁です。

*12:時計掲示板への「Механический часовой Завод № 2 は、モスクワ第2時計工場に違い無い」という書き込み。お前もか…

*13: 構成主義:1920年代のソ連芸術(建築、デザイン舞台美術、ポスター、写真)における潮流。形態の簡潔さ、厳格さ、幾何学性、外観の一体感を特徴とする。構成主義という建築 - ロシア・ビヨンド

*14: 【注意】非暗号化サイト:Котельная (завод электроизмерительных приборов - МЗЭП) [Комплекс жилых домов по Малой Тульской улице] 

*15:正式名称: Государственный мыльно-парфюмерный завод «Новая заря»(国立香水・石鹸工場 "ノーヴァヤ・ザリャー"

*16:参照:Москве  воздушная тревога! 【注意】非暗号化サイト:  http://flibusta.site/b/516215/read 

*17:【注意】非暗号化サイト: КТСО.РУ - Комплекс технических средств охраны

*18:地図のMマークには "М.Тульская (последний вагон из центра) " とあり、訳は「地下鉄トゥリスカヤ駅(中央から最後の車両)」となります。カッコ内は「これに乗ると出口が近いよ」と言う意味らしい。親切なのね。

*19:簡易的な SSL証明書サイトです。 https://ibprom.ru/moskovskiy-zavod-elektroizmeritelny

*20:簡易的な SSL証明書サイトです。 https://www.msmap.ru/plants/2523

*21:https://ru.wikipedia.org/wiki/Москворецкий_район

*22:『トラストとは,具体的にはいくつかの同種の企業の集合体,あるいはそれを管理する部門別工業省の中の一つの管理組織を意味する。』 栖原 学 「ソ連工業の研究 : 長期生産指数推計の試み」P79 https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/62204

*23:ソ連時代に発行された「モスクワ百科事典」(【注意】非暗号化サイト:Web 版 Энциклопедия «Москва»)に載っていました。

*24:因みに、モスクワ第4機械工場も過去に有ったみたいですが、もう調べたくない…笑

*25:https://mmz3.ru/

*26:CIA レポートによれば、1951年までは電気メーターを作っていたので、本業に戻ったのでしょう。

*27:高橋浩男  小林俊一 「電力量計の変遷 ー電力用メータの電子化ー」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1994/117/9/117_9_616/_pdf 

*28:日本の建築基準法では、地下(あれば)を含めた階層を階数と言うそうです。知らんかった。

*29:【注意】非暗号化サイト:Условные знаки, кресты, масштаб топографической съёмки

*30:レポートでは、時計組み立て部門が一番大きいとされている。

*31: 参照元の SSL証明書が 2023年10月8日現在、期限切れ状態の為、リンクを切りました。 energy-polis.ru/2010/498-vysokij-uroven-otvetstvennosti.html

*32: ИК は Инвестиционная компания(投資会社)の略称

*33:ロシア連邦税務局、法人の統一国家登録簿の検索ページ( https://egrul.nalog.ru/index.html)  で、"ЗАО Московский завод электроизмерительных приборов" と検索すると登記簿情報をダウンロード出来ます。直リンク貼れないので、興味ある方はどうぞ。居ないな…

*34:外資によりブランドは復活していますが、もうレニングラード通りの工場ビルはありません。

*35:【注意】非暗号化サイト:НПО Гелиймаш - Современные криогенные газовые технологии

*36:世界シェア 10% を誇る規模

*37:起訴の記事:https://flb.ru/info/51132.htm

*38:モスクワ検察庁の判決ニュース:https://epp.genproc.gov.ru/web/proc_77/mass-media/news?item=63562742

*39:そう言いながら、評価は「比較的悪い」と控えめなのは、明日をも知れぬスパイの『俺に比べりゃ、それくらい…』という憂いなのかと一瞬思った(笑)。ただ、relatively poor の訳は「比較的悪い」だが、日本語の「悪い」「凄く悪い」の間に入るそれなのかは、調べたが良く分からなかった。

*40:CIAレポートでは "washroom" という単語が使われています。restroom の方が一般的らしいのですが、英英辞書では、"a room, esp in a factory or office block, in which lavatories, washbasins, etc, are situated" (特に工場やオフィス街にある、トイレや洗面台などが置かれている部屋)となっているので、単にトイレとしました。その方がオチに繋がるので。笑

*41:検索結果 シベリア大紀行 ―おろしや国酔夢譚の世界を行く― 前編 - 放送ライブラリ公式ページ

*42:椎名誠「ロシアにおけるニタリノフの便座について」 P26

*43:246ページ中、ソ連とトイレの話は 25ページ程です。